サクッとズブッと

ただのひとりごと

楽しいオタクでありたい

もう無理かも。

拓哉くんに頑張れない。

いろんなことにイライラする!

 

って、自粛とか現場消え去ったストレスが重なったのもあり、拓哉くんを好きになって丸3年のタイミングでちょーーーマイナスなブログまであげちゃって。

それくらい本気でもう無理だと思った去年の5月。

1年経ってどうかというと、変わらず拓哉くんを好きでいるしなんなら無理だと思った2ヶ月後には好き🥺って気持ち舞い戻ってた。おかしいなぁ…

ジャニオタの「オタク辞める」って言葉ほど信用ならんもんはないって普段から言うし言われるけど、今回はほんとにほんとにいけると思ってたんだよ…関係各所に今でも言うけど…こうなった今言ってても100%スルーしかされないけど…

 

まあそんなこんなで、去年夏に再開した現場にも元気よく行ったし冬のオリ劇も半休取りながら日帰りで行ったりしたしあけおめ配信もちゃんと買って見てたし春松竹も通ったし、干した現場なしで来てます。

側から見たら何も変わってないって言われそうだけど、自分の中では降りる降りる詐欺(するつもりなかったけどね)を経て変わったなと思うんですよね。

 

去年夏、Zeppの単独で知り合った方とただの交換相手以上に気が合っていろんな話を聞かせてもらって思ったんですよ。

無理に辞めようとするのやーめた!って。

仮に今、ほんとに西村担を辞められたとして、今後一切ジャニーズにハマることなく生きられる保証どこにある?ないよね?なんなら私の好みから考えられるのはもっとやばい未来…30過ぎて自分の半分の年齢の子にハマることだってあり得る…え、それ本格的にやばくない?

そう思ったらもう、自然と気持ちが離れるまで楽しくオタクしてた方がいいなーって悟りを開きました。

"頑張って"毎月のドル誌を読み漁らないし、"頑張って"関西ローカルを観ない。自分がしたいと思うことしかしない。最近はそのスタンスで、前より少しは落ち着いたオタクになれてるんじゃないかなと思います。

自分の知らない拓哉くん(プラベは別として)がいるのが許せなくて、拓哉くんの仕事全部を追っかけようと必死になるの、疲れちゃうの。いい年だから(笑)もう若くない。気合いと気持ちだけで突っ走れる時代はいつの間にか終わってました。

 

だって14歳だった拓哉くんが18歳になってるんだもん。私だってその分老いたよ(笑)

 

別に全然気持ちが冷めたわけでもなく、目が合えば心臓がギュンってなるしマスクの下で口元緩んじゃうくらいには変わらず大好き。大好きと行動が伴うかは別モノでしたって話。

同担全員消えろと思ってたこともあったなーハハハって笑えるようになりました!(サラッとやばいこと言ったな)

 

 

丸4年。

5年目にしてようやく本当の意味で「自分のペースで」って言えるようなオタクになれました。

 

みんな楽しくオタクしようね!だって趣味だもん!それが執着だろうがなんだろうが関係なく、楽しいと辛いどっちもあるのがオタクだとは思ってるけど、最後には楽しいが勝つオタクでありたいよね!

 

と、拓哉くんに出会って5年目にして当たり前のことを当たり前のように言える大人になりました。

 

これからもしぶとく。

 

 

 

 

 

愚痴がこんなに出てくる人を追ってる意味に首を傾げる

最近暇で。まあみんな漏れなく暇だろうけど。冷静に自分のオタクとしての生き方を振り返ってる人もいるだろうなって思って。いつからか定かではないものの、割とずっと心のどこかにあったいろんな感情をこの際文字にしてしまおうと。

 

7/5って書いてあったからたぶん去年だと思わしき酔っ払いの戯言も残ってたのでそれも一緒に放ちます(笑)

 

 

 

 

何にも所属せず、ただの「関西Jr.の西村拓哉」であった2017年が大好きで、今も変わらずその時が1番好きで。

だからって別に今の拓哉くんの活躍を否定してるとかでもないし今が好きじゃないって意味ではないんだけど、それでもどうしても拓哉くんに対する好きって気持ちの最高地点はこの頃だったなぁって思ってしまう。

私が1番好きだと思う当時を拓哉くん本人は、「毎日ベランダで泣いてた」って言ってるしんどかった時なのに、そこを1番好きだと言ってる自分はほんとに拓哉くんのファンなのかなとか、今が1番!って言ってあげられなくて申し訳ないなとか、そう思いながら応援してるのはファンとして健全じゃないよねって落ち込む。

個人的な好みの話でもあるけど、ビジュアルが2017が1番刺さるのと、私が拓哉くんに求める拓哉くんへの幻想?アイドルとしての姿勢?がここにあるんだなってのは見るたび思う。だってこの頃の拓哉くん激可愛くない?天使じゃない?なんでみんなこの頃の可愛さに気付かず生きてたの?って。

アイドルとしての姿勢も、前に行くぞ!抜かしてやるぞ!やったるぞ!っていう気持ちを感じたり、でもたまに、まず自分が楽しんじゃってカメラにかっこつけることが頭から飛んでたり。そういう姿を見ていつも楽しそうでいいな、可愛いなって思ってたから、今かっこつけることばかりが頭にある、つまり頭の中は常に冷静な拓哉くんに私も冷静になっちゃうし沸けないなって思っちゃうしそんな拓哉くん分かんない…って。

まあ1番後ろの全然映らないところでもほんとに楽しそうにキャッキャ飛び跳ねて笑顔で踊ってる姿を見れたり、うちわ現場では自分の名前をキョロキョロ探して見つけるとすごい嬉しそうな顔をしたり、そういうのはあの位置だったから体感できたことなんだろうな。逆に当たり前にマイクを持ってたり心配しなくてもグッズが出たり、今の位置だからこその捨てがたいものもあるみたいに、もちろん変わってない部分もあるし、いい意味で変わった(ex.可愛い〜!で済まされてたミスが減ったとか)部分もあるし、日々成長して自分の目指すアイドルへ向かって頑張っているのは分かってるんだけどね。

もうかなりJr.担内で「ニシタク」って名前が広まり人気も上がりつつある現状を見てると私が求めてるものはもう返してもらえないのかもって寂しい。アイドルにとってのアピールの優先順位って、昔からのファンを大事にとか、とにかくファンを増やしていきたい!とか、あんまり一般人の目に触れないJr.だろうが人によって色々なのは分かるけど、拓哉くんは恐らくとにかく数を増やしていくことに必死なのかなって。それがたぶん私が納得いかない部分なんだろうな。

 

 

酔っ払いの戯言なのでん?って思う部分があっても気にしないでください、あえて誤字以外の編集はしません(笑)今読んでも頷いちゃうから何を見ててそうなったのかは不明だけど、心の奥底に隠してる本音なのかな、そうなんだろうな。

 

 

 

 

ガチ恋か?ってくらい好きで好きで大好きだったのに、なんで今こんな感じなんだろう?って酒を飲むと考えるんですけど、私が求めてるものは環境が変わっても変わらずにいてくれる拓哉くんで、でも現実は環境によって日々変化していく成長期の男の子で。私だって正解を知ってるわけでもないし拓哉くんが間違ってるとは思わないけど、ジャニヲタとしても人としてもいろんなものを見てきた私の価値観とズレる部分が増えてきたんだなと、そう思うともう離れるべきタイミングを過ぎてる気がしてくる。

 

 

うーーーーん

 

 

 

 

もっと単純に、

 

長ったらしい言い訳せず言ったら、

 

 

拓哉くんに頑張るの疲れちゃった!

 

 

 

頑張っても私が求めてるものはたまにしか見れないし、「当時」からは離れていく一方だし、辞めた方が楽になれるよね。って

 

 

この際だからまじで色々私が最近思ってるイライラとかも言うけど(笑)

拓哉くんって前は完全に康二派だったはずなのに、今康二が関西からいなくなって1番強いのってセンターにいる大吾しかいなくて。だからそこにくっつけば自分もそっちに行けると思って仲良くしてるような、そんな感覚になることもあるんですよね(笑)逆も然りだけど(笑)お互いの利害が一致してお魚兄弟とか言ってるようにしか見えなくてつまんな〜いって感じです(笑)

 

 

あと今island TVでやってる放課後Lilってやつ。全然見てないんですけど、初回の冒頭だけちらっと見たら、撮り直しに起きてこない。

は?ってなりません?

急遽決まったことだから仕方ないのかもしれないけど笑って済ませていいのかも分かんない。

 

別に無理して毎日あげ続けなくてもいいのに周りが企画考えてupしてるからリトかんも、みたいなしゃーなし感を感じてしまうから、もうやらなくていいよ。

 

5/20更新の日誌でもテキトーに謝ってるの見て、ムッとしてしまう。仕事なんだからちゃんとしようよ…

 

 

 

8.8で悔しい思いをして、

絶対に東京ドームに戻ってきます。

って言ってたのに、

 

機嫌が悪かったのか具合が悪かったのか

なんだったのか全然見当もつかないけど、

ホールツアーバックの某会場の某日。

なんであんなにつまらなそうだった?

かと思えば空元気だったりして。

年頃の男の子分かんない!って言ってたけど、

同世代の他の子たち見てみ?。

 

倒れるまで無理して舞台に立ってた人が関ジュにもいたよね?1回1回が勝負の世界でつまらなそうにしてるってほんとになんなの?

 

初めて見に来た人がそんな拓哉くんを見たとして好きになってくれるわけなくない?

 

 

 

 

歌い方とか喋り方とか全部が意識的にやってることじゃないのかもしれないけど、

誰かの真似をしてばっかな拓哉くんはもう私の好きな拓哉くんではない気がするし、自分の中に取り入れて自分の表現のエッセンスとして加える程度に留めてよって思うんですよね。

 

別に真似ばっかしなくてもKABUKIの頃から挨拶はうまかったし充分表現力もあるしもっと拓哉くんらしさが見たいのになぁ…

 

 

 

 

今、この現場が全くない時にモチベが下がるのはあるあるだと思うんですけど、周りの人たちが早く会いたい😢ってなれるのが羨ましくて羨ましくて…

 

ずっと辞めたいと思いつつ辞められなかった拓哉くんの「オタク」を辞められそうになってしまうなんて悔しいな。してやられた感。

 

 

 

 

 

昨日で拓哉くんを好きになって丸3年が経ったんですけど、タイミングが違えば今も思うことは違ったかなって思います。

 

もっと早い段階で好きになってれば…っていうのはよく聞く話ですけど、私の場合はもう少し後に好きになってれば…って考えるんですよね。

 

Lilかんさいができてから、あるいはその直前のちび5が定着してきた辺りから(要するに魔の梅芸後)好きになってれば…

拓哉くんにいつまでも幻想を押しつけてあれでもないこうでもない変わっちまったってうるさく言うおばさんにはなってなかったのかな…?なんて思うことがここのところ多いです。

 

3年追ってきた今放つセリフがそれかよって思いますけど。

 

ファンと友達を同率にしないでほしい。

 

ファンはあくまでファンで、リア恋枠を目指してる上で日誌の書き方を変えたんだとしても、変え方が失敗してるということに早く気付いてほしいな…わざとバカっぽく文字を並べるのも、距離感近くすればリア恋になると思ってるのも、全部ちょっと的外れなんじゃないかって気付いてくれますように…

 

 

 

 

 

コロナが落ち着いて、現場が復活した時。

たぶん私はとりあえず1回拓哉くんのいる現場に足を運ぶと思います。その時に、ああこれはやっぱり「たまに見るドンピシャな顔」という枠に収納して年に数回引っ張り出す感じでいこう。と思うかな?今は何も変われない状況下だけど、これ以上負の感情を抱くことがないよう引き続きの自粛生活を送っていきたいと思います。

 

 

 

 

以上、4年目に突入した西村担の決意表明でした。

 

 

結局ここでスパッと辞めます!!!って言えないのが私のダメなところなんですけど、フェードアウトはプライドが許さないので、、、

 

 

 

終わりの話はまた今度

気持ちの悪いラブレターを失礼

 

 

あの運命的(ではないかもしれないけど私にとっては人生のターニングポイントと言っても過言じゃない)一目惚れから丸2年。そう、やっと2年。 
体感的にまだ2年?って思うのは、すごく濃い時間を共有させてもらってたからかな。 
それとも普段偉そうなこと言ってるのがただ自信がないからだってバレるからかな(笑)
 

 

 

 


たった2年だけど、私なりに一生懸命拓哉くんの応援をしてきたつもりで、でもそれを自信として、誇りとして持ち続けるのはなかなか難しくて…いつもしつこいくらいに同じことで病む私を、呆れずに励ましてくれる友達に助けられて生きてます。有難い。 
拓哉くんのことを好きだと思った頃と今とじゃ環境が変わりすぎててそこがしんどい点でもあるんだけど、拓哉くん本人が14歳は毎日ベランダで泣いてたけど15歳は嘘みたいに凄く濃い1年だったって言ってて、本当によかったなぁって。心の底から思うよ。 


 

 

 


悔しいと思ったことも、今後の目標も、将来の大きな夢も、その時思ったことを言葉にして共有してくれるところが好きだなぁっていうのは、関ジュ日誌の権利をもらってから思ったことです。アウトプットがこんなに上手いなんて良い人を好きになったなぁ。

もう分かったよ…って思われるくらい繰り返し言ってることだけど、KABUKIの千秋楽の挨拶が天才的なの知ってます?しんどい時に思い出しては力をもらってます。 高確率で思い出し泣きするけど。
「(一部省略)道枝くん長尾くんに負けないぞ!って気持ちで必死に食らいついてきたんですけど、リハーサル中から何度も怒られてて…そんな未熟な僕たちもみんなで協力し合って作り上げた自信作になってます!この公演を千秋楽まで無事終われたことを誇りに思って、ファンの皆さん、スタッフの皆さん、そしてメンバーに、感謝の心を忘れず!これからも頑張っていきたいと思ってるので応援よろしくお願いします!」 

自信作、誇りに思って、感謝の心を忘れず

 

 

 

 

天才だな???

この挨拶の時、公演名を正確に言えなかったちょっと抜けてるところが拓哉くんの変わらない可愛さです♡(手紙で一度も正式名称書かなかった私が言えることではないけど)(なんなら正式名称書いたつもりだったやつ拓哉くんと同じ間違え方してたけど)


リハーサルで怒られたとか、松竹の舞台稽古中も康二にダメ出したくさんしてもらったとか、言わなくても困らないことというか、あんまり言いたくないかもしれないなってことも教えてくれる、その強さがすごい。好きです。

 

 

 

 

 

 

 

もちもち赤ちゃんの天使だった頃が恋しくなることもあるけど、そういう拓哉くんは自分の胸にそっとしまってこれからどんどん「かっこいい」を自分のものにしていくこと期待してるね。

 

 

 

 

ほんっとに楽しい幸せな思い出をたくさんくれたし、ほんっとに嬉しい変化をたくさん見せてもらったし、もしかしたらもうもらったものだけを抱えて、人気が出てしんどさがピークになる前に離れた方がいいかもなぁって思うこともある。

現場期間必ず1回は病み病みモードになるからさっさとオタ卒するのも手だとは思う(笑)

 

でもババアはしぶといので、てかこの先の更なる活躍、成長、その他色々なものを見ずに生きるなんて私にはまだまだできそうにないので、拓哉くんのファン3年生も楽しく幸せに生きたいと思います。

 

 

 

大好きだよ〜拓哉くん!早く高校生アイドル拓哉くんに会いたいな!

「お仕事ください!!!!」

 

 

 

通過点だったらしい。

 

 

濵田担として生きていくよ。って決意表明をした2017年1月。から、2年ちょっと。

 

 

今の私はといえば、濵田担と名乗れるような状況ではない。たぶん誰が見ても。

 

 

 

サクッと堕とされた2016年6月から24コン、なうぇすとと存分に現場を楽しみ終わった直後、24コンが発売されるほんの数日前。

 

見ちゃいけなかったのかもしれない。

 

濵ちゃんを好きになったことによって広がった視野がこんなことになるなんてね。

見事に踊らされてる。

 

 

 

 

 

 

 

いつからか見始めたまいジャニに、

 

ある日椅子を重たそうに持ちながらカメラinした緑色の服を着た男の子がいましたとさ。

 

その子がとてつもなく私の好みに刺さりましたとさ。軽率に堕ちましたとさ。

 

今や松竹座や城ホで歓声を掻っ攫う2枚目担当の正統派アイドルとして活躍するようになりましたとさ。

 

めでたしめでたし。

 

 

 

 

 

 

 

めちゃめちゃ簡単に言うとこういうことよね。

 

 

 

 

 

自担じゃなくても自Gに年下がいるだけで萎縮してたのどこのどいつだ?ってくらい意味の分からないオタクをしております。

 

 

おかしいくらいジャニーズ事務所の戦略に嵌ってます。

 

 

 

 

 

 

 

外から見た印象だったり知名度だったりがどうなのかイマイチ分かってないものの、

「中学生が気になってるけど担当にしていいのか分からんどうしよう…」って相談をした時から比べたら笑っちゃうくらい知名度は上がったよね。

 

ね、拓哉くん。

 

 

 

 

 

 

 

 

濵ちゃんに意味の分からない堕ち方をした2017年6月から1年足らずで、まさか当時14歳の中学2年生に堕ちるとか安直すぎる。

 

いくらその年の現場がもうないとほぼ確定されてても安直すぎる。

 

 

 

 

 

濵ちゃんに堕ちたきっかけが笑いのツボに嵌ったからだったことよりも安直な

「顔がどタイプ」って…

確かに1番ポピュラーな堕ち方だけども…

8個下に一目惚れて…

 

って考え出したら一部の人にしか言えなくて、

 

コソコソ吐き出せるツイ垢を増やしたりしつつコソコソ現場に通ってたんだけど、

 

まだあくまでも

濵ちゃんとの掛け持ち😆キャハ☆

くらいのテンションだった気がする(笑)

ちょっと記憶曖昧だけど。

 

 

 

でもいつの間にか、当たり前のように

「濵ちゃん<拓哉くん」になってたんですね…

 

 

 

 

 

 

普通に思うじゃん。

 

濵ちゃんに対する諸々は???

 

って。

 

 

 

あんなに担降り問題に頭抱えた日々は???

 

って。

 

 

 

 

 

 

担当ってもっと重いものだと思って生きてきたのに

 

短期間で気持ちが変わってしまう違和感と不安感…あと恥ずかしさ。

 

 

プライドが許さない感じ。

 

 

 

 

 

いつだったか、同じような道を辿った友達に相談したことがあって。

 

濵ちゃんは通過点だったんだってば、私もそうだったもん。

 

って言われたんですよ…

 

 

そっか、そういうことか〜って内心納得してしまったんよね。

 

 

拓哉くんを知る上でなくてはならない過程だった。

 

って考えると、

 

二宮担から降りて、今の西村担に落ち着くまでの中継地点。

 

拓哉くんに出会うまでに必要だった時間が濵田担として生きてた時間。

 

 

 

 

 

 

ナルホドネ!!!!!

 

 

 

 

 

 

それならしょうがないかな〜〜って。

 

自分に甘々人間なので。

 

 

降りる降りないも別にいっか〜

大して変わんねえべ?って

 

うまいこと使い分けられると思って最近まで過ごしてきたんですわ。

 

 

うん、でも無理だった!

 

 

現場に行けば、濵ちゃん好き🥺ってなってたし、そりゃ優先順位的には拓哉くんが1番だけど濵ちゃんのことだって好きだもん✊🏼って着地しようと思ったら、哀しいことに問題はそこじゃなかった(笑)

端的に言うと、

箱推しできないグループの担当ではいられないよね。ってなりました。

そうそう。しょうがない。

 

 

 

何がどうでこうなのかはもうめんどくさいから割愛するけど、担当を名乗るのをやめます!

 

って話です。

 

 

 

ちょうどよく5周年のタイミングでよかった〜

 

なうぇすとで連行したことにより、

今や私以上にWEST担してる妹がいるので、

プラマイゼロってことで(笑)

今日もケーキ買ってきてた👏🏼

 

 

 

まあ担降りと言っても、

単独舞台なら意気揚々と行くかもね(笑)

 

 

短い濵田担人生、これにて(一応)終了〜👏🏼

 

お疲れ様でした。楽しかったよ。

 

またふらっと会いに行きます。

 

 

 

 

ジャニオタの就活話〜劣等生の場合〜

 

 

これ書きたかったのーー!!!

 

先日やっとこさ就活終わらせたので念願の書きますね!!!

 

 

前提として、

学科一不真面目で〜す✌︎って言えるくらいちゃらんぽらんしてる私がインターンなんか行ってるわけもなく。

3年生の9月頃から開かれるようになるセミナーにも、ほとんど行かず。確か行ったの2回?いや、1回?(これはのちに後悔しまくる)

 

そんな奴の適当な就活を見て元気出そうぜ…みんなよく頑張ってるよ、大丈夫だよ報われるよ…だってこんななんとかなるさ精神で日々生きてる奴でも決まったんだから…!っていう励ましを込めた、参考にはしてほしくない就活記録です(笑)

 

 

 

基本情報的なもの

都内実家暮らし

文系4年制女子大、ランクは知らん。偏差値55ないくらいだから普通。(だと思ってる)

 

サークル入ってない、ボランティア経験ない、3年修了時の残り単位数34で内定もらえるかより卒業できるかのが危うい。

勿論成績も全く良くない。

 

バイトは2つ掛け持ち。1ヶ月シフトと1週間シフトのとこでやりくり。居酒屋ホールです。

 

高校受験は推薦でサクッと、大学受験も公募推薦でサクッと。ガチで勉強したことありません。

部活も特にすごい頑張ったわけでもないです。途中で辞めてるしね。

 

 

 

今までの人生、何かに本気になったことなんてオタクくらい。そんなダメ人間の就活記録です。

 

こんな私でも内定もらえたからみんな大丈夫だよ、不安に思ってる人は大抵ちゃんとしてきた人間だからきっとうまくいく。って安心して欲しいな。

 

私なんてダメダメだ…って落ち込んでる人見てますか〜?!

そう思ってるあなたよりもっとダメダメな奴のこと知ってドン引きしようぜ〜💪いぇいいぇい

 

 

 

 

3年の段階で就活の準備はセミナーに1回参加したのみ。まじでこれ以外なんもしてない。

8割?9割?くらいの人が動き始めるであろう3年生の1月から。

 

3年1月

手帳見返したら「就活用メイク講座」という如何にも女子大らしいセミナーの名前が書いてありました。が、行ってません。

初詣で「内定もらえますように」ってお願いしたくらい(は?)

それよりもテストに必死でした。単位は早く取るに越したことはない。来年頑張ればいいや〜はダメ、絶対。

バイト

なんかうまいこと働いてた。出勤回数9回だから平均週2かな?横アリ期間は一切働いてません。こんな時ですら、あくまで現場優先。

現場

なうぇすとツアーが始まる。

横アリ6公演、福岡2公演

福岡は2泊3日でガッツリ遠征しました。初九州、楽しかった!

 

 

2月

「就職手続説明会」というなんか重要ぽいやつは起きれなくて行ってないたぶん。クソだな。

「企業セミナープレ講座」とやらも当日早朝に帰ってきて疲れて諦めた。どこまでもクソです。

自己分析やら企業研究やらほぼゼロ。いや限りなくゼロ。アプリで簡単診断的なやつで自己分析やっただけ。

そういえば2月末にようやく髪を暗くしました(笑)黒染めは嫌〜ってカラーで極限まで暗く。

バイト

春休みは稼ぎ時〜♪ってな感じで現場がない日は基本働いてました。出勤回数13回。多い時は週6で働いてたアホです。5連勤もしてる。

ツアーと就活乗り切るにはお金が必要!ってよく分かんない頑張り方してた。

現場

なうぇすと宮城2公演(日帰り)、名古屋2公演

東西SHOW合戦1公演

妹とディズニーも行きました。

東西は名古屋遠征帰ってきた日に行って若干寝そうになったごめんなさい。座ってるとついね。

無理な現場の詰め込みやめましょう。

 

 

3月

就活解禁!

1日の合同企業説明会(幕張メッセのやつ)にはオタクと行きました。スーツで双子❤︎とかふざけたこと言ってた。

※そのオタクはそこで切り替えてちゃんと就活してました。

ちなみにリク○ビや○イナビに関しては会場向かってる電車の中で登録しました。遅いよね、知ってる。

前日の夜はプレエントリーとかなんもせず早々に寝てました。

学内企業説明会は6日間ありましたが、1日も行ってません。

ビックサイトで行われた合同企業説明会にも友達に誘われたのでフラフラついていきました。

行ったらスイッチくらい入るだろうって気持ちで行ったけど、下調べもしてないとどこ見たらいいのか分からず現場モードが強でオンになってたためスイッチも全く入りませんでした。

プレエントリーはしたかもしれない。けど、本エントリーはたぶんしてない。いつの間にか締切過ぎてた。

バイト

就活始まるんで〜って1ヶ月シフトの方減らしたのに結局暇で1週間の方どんどん増やしてた。出勤回数12回。なかなか減りません。

3月も気付いたら5連勤してた。

現場

なうぇすと静岡2公演、大阪3公演

相変わらず夜行バスとお友達。

 

 

ここまで来て気付きました?

私、まだ…証明写真すら撮ってない。

 

もう春休み終わるよ!!4年生なっちゃうよ!!

 

 

4年4月

1日からオタクと遊んでました。リトラのはまりゅせオトシ飯巡りした。呑気。

ここでやっと証明写真を撮りました。下旬に。

授業始まったので、改めて単位やばいなって焦った時期。のくせにちゃんと学校行かなかった。

バイト

現場ないから働くぜ〜!っていうアホな思考回路により、ここにきて出勤回数16回。何故増やした?

現場

帝一の國 完成披露試写会

ジャニーズ大運動会(アイドル肴に酒を飲むやばいオタク)

 

 

5月

説明会5社。って書いてあるけど恐らく本当に行ったの2社くらい。

前日までにキャンセルするの巻(ごめんなさい)

WEBエントリー試みるもES書けない!締切がぁ!の連続で結局説明会に履歴書持ってきてね〜ってとこしかエントリーしてない気がする。

バイト

さすがに平日入れるのはお母さんの圧が怖くて控えてました。GWと週末を中心に。

出勤回数15回。あれ、減ってないな…

3連勤して次の日朝から遠征!とか夕方までランチ、移動してバイトハシゴ!とかアホなことまだしてました…

現場

なうぇすと広島2公演

これにてなうぇすとツアー終了。

「ツアー終わったら現場の予定ないから!そしたら就活ちゃんとするから!」ってお母さん説得して広島2泊3日1人で行きました。宮島観光まで楽しかった!

24コンの円盤発売したから鑑賞会してたしツアーの打ち上げもしたなぁ(笑)

 

 

6月

説明会4社。だけど実際行ったの1社。

その1社が急にGDやりますってなり、その選考通る。人事の人に褒められたけど、対策なんて一切してなかったから謎。たぶん誰よりも気楽に行ったからリラックスしてたせい。(真相は知らん)

面接来てください。ってなったんだけど、やる気急降下。で、辞退。(おい)

割と大手だったし仕事内容も楽しそうだとは思ったけど、直前にお母さんと就活のことでバチバチに喧嘩して行くのやめました(笑)まじで良い子は真似しないでね。

最終的に土日休みは譲れないなぁってなったので、火水休みだったし後悔してません。面接練習くらいにはなったかもしれないけど。

バイト

遊びの予定入れるとお母さんにハア?って顔されてたので、遊べなくするために金土日働いてました。土日休みの会社が良かったから平日の昼間にしか予定入んないしょ!っていうアレです。出勤回数12回。

金曜18-24 土曜11-17からの18-24 日曜12-18

っていう週が1回あったけどもう一生しない。

現場

誘われて観覧行った関ジャニ∞バズリズム

ここにきて現場が途絶えてしにかけました。

オタクと24コン観てなんとか乗り切った。

 

 

7月

やる気急降下から戻ってこれなくなって目を背ける。私の悪い癖です。

説明会3社。どれもキャンセルしました。

さすがにこのままじゃやばいと思い、気合い入れ直すために明るくなってきてた髪をもう一度暗くしました。

テスト期間に入り就活よりもまずは単位取得!!でレポートとテストに追われてたような…

バイト

現場がないってことはお金稼ぐしかなくね?ってアホみたいに働きました。出勤回数18回。

ここでも4,5連勤してた。

テスト期間の平日はバイトしてませんさすがに。

現場

なし。MUSIC DAYでなんとか生き延びました。が、オタクに会えないことがストレスで、入らないくせにワクワク東京遊びに行きました。

そしたらその日WEST見学日で泣いた。

 

あ、お母さんに誘われRENTでクリエ初体験しました。

この辺りでは、「お母さんからのプレッシャーが嫌!ほっといて💢」と言ったことから割と放っとかれてました。毎日LINEで求人の情報送られてきてたけど。心配されてたのは分かる。

 

 

8月

もはや就活諦めたのか…?って思われるくらいだったみたいで、さすがにお母さんに外部のエージェントの元へ行けと言われ、相談に行かされました。

松竹行くことバレたためにそれまでに1社でも選考進めとけとのことでした。ですよね、そりゃそうだ。

そこで紹介してもらい説明会1社。同時に適性検査を受け、面接へ進みました。

はい、ここにきて初めての面接です。面接練習なんてしてません。ほぼ準備もせずに行きました。だだっ広い会議室に面接官2人と私1人でしぬほど緊張しました。誰もが分かると思いますが、ボロボロで手応えなんて一切ない。帰り道ドッと疲れが襲ってきたところで雨まで降ってきて笑えました。説明会行っても興味が持てなかったので消化試合みたいなもんで、特にショックとかはなかったですね。

ただ、合否はメールで○日までにお送りします。って言われたのにサイレントで、そこまで応募者いなかったのに失礼な会社だな!ってイラっとはしました(笑)

最初から通過者のみ、って言えやって思いました。就活初心者なんでサイレントへの免疫なんてないんでね。

新たに説明会は行きませんでした。

下旬は単位取得のため集中講義で朝から1日学校に缶詰でした。

バイト

夏休み!稼ぎ時!ここでも就活生への自覚が芽生えず、出勤回数16回。

現場

サマステ スノスト1公演、キンプリHiB1公演

少年たち1公演。

EXと松竹座初体験しました。EXでは高地に堕とされかけ、松竹座では見学に来てた晴太郎に堕とされかけ、DDへの道が開き始めた夏でした。

ニュースにもなった某花火大会へ行き、浴衣でびしょ濡れになったり、西武園のプールで飲んだくれたり、引くほど遊んでました。就活終わった人並に。

 

 

9月

上旬は引き続き集中講義。

またも明るくなってきてた髪を暗く…もう暗いのにも見慣れてきました。

エージェントが結構ずさんな仕事っぷりだったので、こりゃ使えねえわ、となりまして、新卒応援ハローワークに登録しました。

そこで紹介してもらった会社3社に応募。

うち1社適性検査&面接。

バイト

冗談抜きで単位がやばかったのでバイト減らしました。集中講義で入らなかったってのもあるけど。出勤回数9回。

現場

少年たち1公演

ここで日生劇場初体験。

アマデウス1公演

幸四郎さんの演技圧巻でした。サンシャイン劇場分かりにくいし激狭かった。

 

秋服買いに行ったり飲み行ったり、やる気が見えない。

 

 

10月

結果待ちしてた1社から内定の連絡がきました。

同じ日に先月応募した1社の採用試験。って書いてあったから筆記だけだと油断して行ったら集団面接もあってアタフタした。

私だけ志望動機薄っぺらで落ちたな…って感覚。結果待ちだけど説明会行けなかったため会社の雰囲気をこの日初めて知り、なんとなく違うなと思いました。ので、辞退するつもり。まあ落ちてるだろうけど。

先月もう1社応募しましたが、都合が合わず未だに面接行けてないので、ご縁がないのかなということで、辞退しました。

 

 

 

 

 

はい、ということで

合説2回、説明会4社、試験3社、面接3回、内定1社。

以上で私の就職活動終了です。

どうぞ存分に引いてください。

 

 

 

 

 

内定をもらえた所は、面接もあまり堅苦しくなくて、緊張せず雑談したような感覚でした。

 

 

私の場合、学校で毎年4月にSPIを強制的に受けさせられていて、元々理系で文転した人間なので非言語の成績も悪くなく、言語の方も割とできたので特に対策はしませんでした。

果たして受けた3つの試験がSPIだったのかは対策してない私には分かりません(笑)

けど割とできたと思ってる。

 

(今思い出したけど最初の1社で「安倍晋三」を「阿部昌三」って書いたのはほんとに恥ずかしかった。)

 

 

3年の時に履歴書に書くものがない!という典型的パターンで秘書検定2級と日本語検定3級を取得するために講座に通い、基本的な社会人マナーみたいなものを身に付けたのがよかったかなぁとも思ってます。

そのふたつ持ってると秘書実務士の資格取れるよ!って教えてもらったから取得したのに、面接申し込むのめんどくさくて取らなかったです!秘書検定とかありがちだけど秘書実務士は珍しいし日本語検定3級なんてめちゃ楽に取れるし時間ある人は取ってみたらいいと思う。秘書やりたいとか事務職がいい人は面接でアピールできるかもね…っていう私の数少ないアドバイスです。

 

 

 履歴書について

志望動機は結構スラスラ出てくるものの、自己PRと所謂ガクチカが苦手でした。そういう人多いんじゃないかな。

自己PRに関してはオタクで鍛えた情報収集能力と計画性みたいなことを書きました。確か。ぶっちゃけよく覚えてない。面接でもあんまり掘り下げられませんでした。たぶん特殊。

ガクチカは、最初アルバイトについて書いてたんですけど、1社目に受けた所でうまく答えられなかったのでやめました。実際何年も同じ所で働いてるわけでもないのでバイトリーダーとかじゃないし「やり甲斐は?どんなポジション?」とかドモりました。ただの準備不足。

じゃあ何頑張ったんだよジャニオタ以外に…って必死に考えた結果、小さい頃から地元の神輿に参加してることを凄いことのように書くことにしました。

たまたま受けた会社が地元に近いところだったのもあり、めちゃめちゃ食いつかれました。

 

面接の色々

たぶんほんとに珍しいケースだと思うんですけど、御社の企業理念が〜とか一言も言いませんでした(笑)HPで読みはしました。聞かれた時用に一応。

本社が地元にあることに運命を感じました!みたいなこと全力で言いました。まじで。もうちょいちゃんとした言葉で。笑われたけど地元大好きだよ〜ってことは伝わったんじゃないかな(笑)

緊張するとヘラヘラしちゃう人間なので顔が固くなったりはしなかったです。たぶん。でも一応うまく言えそうにない時には「緊張してるので、うまく言えないかもしれないですが…」って前置きしてました。

これは転職活動めっちゃしてきて、書類さえ通れば面接は100%受かってきたお母さんからのアドバイスです。

挫折経験も本気で何かに打ち込んだことがない私には困る質問でしたが、バイト帰りにホームの階段で転んで捻挫したのに誰も助けてくれなかった話をしました。挫折じゃなく捻挫かよってツッコミは大丈夫です。

求めてた答えではないだろうけど、その時は絶望したのでまあいっかって話しました(笑)

あと、自分は保守的だって言っちゃった時に

「会社としては変革していくのと保守的なのとどっちがいいと思いますか」って聞かれて、そりゃ保守的じゃダメだと思います!とかもうじゃあなんで保守的なんて言ったんだよって答え返したり…

あれ、なんで受かったんだろ…

 

でも何故か帰り道、これは受かったなって思ったんですよ…動物的勘みたいなものが働いて…

 

ジャニオタについて

特別にアピールはしなかったんですけど、「なんでも相談できる友人はいますか?」って聞かれた時に、趣味をきっかけに仲良くなった友人と…って言いましたし、隠しもしませんでした。

そこから何故か1番最近行ったライブは?とか聞かれてしまって、少年たちについて少し話しました(笑)

遠征もするよ〜みたいなことも軽く。

 

 

 

 

こんなところでしょうか…

 

私自身、就活への不安はあまりなく、なんとかなるっしょ〜って超ポジティブに考えてたので、病んだりとかは特にしませんでした。

唯一、外部のエージェントと何度か面談した時に、

「やりたいことがないまま、なんとなくで面接受けてたって意味ないよ。やりたくない理由も言えないんじゃただの我儘だし、もっとちゃんと考えれば絶対やりたいこと見つかるから真剣に考えろ。」みたいな感じで

結構キツく言われた時は、帰りにちょっとだけ泣きました(笑)

1番突き刺さったというかイラっと(笑)きた言葉はやめときます。まあこんな人間見たらイライラもするよね、ごめんよ。

 

まだ決まってないの?みたいな空気出されることもありましたが、私からしたら「まだ決まってない」じゃなくて「まだやってない」って感覚だったので、見当違いなこと言ってるよプププーって思ってました。危機感ゼロだな。

 

周りの同い年たちが、既に働いていたり、資格職だったりで一般的な就活生と接する機会が少なかったから、危機感が生まれなかったんだと思います。焦ってもしょうがないことなんでよかったなと思ってます。焦らなすぎもアレだけど。

 

 

 

幼馴染とドライブ行くことと堂々と現場に行けるようになることを目標になんとかなりました!

クリパと年明けのWESTのツアー(あると信じてる)に間に合ってよかった!

 

 

ということで、ついにノータッチな卒論に取り掛からなくてはいけません。

クリパで拓哉くんに会うために頑張ります。(出るよね?)

 

 

これから就活する人たち。(オタクに限らず)

是非反面教師にして頑張ってください。

そしてこんなダメダメな私でも内定もらえたんだから頑張ってるあなたは絶対大丈夫!

自分を信じてください。

 

 

今更

 

時間の使い方がクソほど下手だから、年明けてもまだ引きずってること深夜の勢いも借りてやっちゃうね。

ほんとは年内にやっておきたかった。

 

誰に向けたとかそういうんじゃなく、ただ吐き出す場所が欲しかっただけで、まあそのためにここ開設したよね。

 

だからこの先使うことは99%ないかな〜

文章書くの苦手だし嫌いだから。自担の誕生日とかグループのデビュー日とか、思いの丈を、とかできないタイプね。

 

 

そんな私だけど、書いとかないとモヤモヤがなくならないと思ったのが、所謂担降りブログ。クソワロ。オタクの性なのかな。

 

 

書こうと決めたからと言って言いたいことがまとまってるわけではないんだけど…

とりあえず2016年に取り残されてるから支離滅裂覚悟で吐き出しとく。

 

 

 

 

 

いってきまーす。

 

 

 

私は嵐が好きで、ほんとにずっと嵐しか見てこなくて。青春全てをかけて嵐を追っかけてきた。高校までに仲良くなった友達には、私といえば嵐、嵐といえば私、みたいな認識されてるくらい、口を開けば嵐の話をしてきた。

いやまじで…関係ない時事ネタとかすら情報源嵐だったりしたからね(笑)

 

9年半くらい嵐を見てきて、自担の熱愛とかには、そのこと自体にショックを受けたり感情が動くようなことがなくなってきたから、

もうこのまま、万が一茶の間に戻ったとしても一生嵐が好きなんだろうな、にのが好きなんだろうな、って思ってた。結構最近まで。

 

でもさぁ、人の気持ちってほんとに分かんないよね。

何が原因か、って明確なものはないと思ってるんだけど、綻びが生まれるきっかけとなったのがアリーナツアーだったのは間違いなくて。

 

発表の時咽び泣いて喜んだアリーナツアーが、話題に挙げたくない事柄になって、平和に仲良くしてた人との関係性もグチャグチャにされて、散々だった。

これからも着いて行きたい、って思えたJaponismツアーからほんの数ヶ月で、嵐のことが分かんなくなったんだよね。

 

 

たぶんアリーナツアーに行けてたら、今も変わらず嵐だけが好きだったと思う。

他に目移りしてる余裕なんてなかった。

 

 

けど、アリーナに行けなくて、嵐の曲が聴けなくなって、今まで嵐しか見てこなかった私には、夢中になることで忘れられるような他のものがなかったから、大袈裟に言えば生きてる意味が分からなかった。

嵐のためにバイトしてたし、バイトをしやすくするために学校は必要以上に行かなくていいよう勉強もギリギリのところを頑張った。

その全ての糧を急に奪われたら、どうしたらいいか分かんないじゃん?

 

それで血迷った私が取った行動は、

 

「なんでもいいからジャニーズの現場」

 

そんな時に見つけた現場が10Ks!

友達が行く人を探してたから飛びついた(笑)

 

正直、私よりも辛い状況にいるKAT-TUNのファンの人たちを目の当たりにすれば、ちょっとは楽になるかなって気持ちもあった。振り返るとほんと最低だな(笑)

 

初めての嵐以外のジャニーズのライブは、ちゃんと勉強していったおかげもあってもうめちゃくちゃに楽しくて。軽率にゆっちに堕ちかけた。結局愛でる対象で留まったけどね。

 

 

書くのめんどくさくなってきてるから省略するけど(笑)

 

他にも某俳優くんに沼って舞台挨拶通ってて、これはまじでジャニオタ辞められるなって思ってたんだよね。今更ジャニーズなしでも生きていけることに気付いちゃった。

 

途中にあった野球大会もモヤモヤしたまま行ったせいかあんまり覚えてないくらい(笑)

こうやって離れていくのか、って他人事のように思ったりね。

 

 

習慣でバラエティも観てたしCDもしっかり予約してたしだらだら続けてたから、ワクワク学校が今年も発表されて当たり前のように行こうとしてたの。皆勤賞だし行かない選択肢がないじゃん?

で、日程的に自担の入所20周年と被ってたし京セラ行くか、って(笑)

一緒に行こうって言われたのもあるけど。あれ、誘われたんだよね?誘ったんだっけ?

まあ仲良い同担とだし二つ返事で決めて、やったー現場だ遠征だって楽しみにして。

 

 

 

 

普通に立ち直ってるよね、ここらへん。

 

この時期には俳優くんと掛け持ちみたいになってたから気持ちが分散されて楽になってたんだろうな、たぶん。

 

 

 

 

そんなただの使命感と軽いノリみたいなもので行った京セラで、出会っちゃったんだけどね。

 

 

 

もうさ(笑)嵐の時もそうだけど、私ってほんとに自分でも意味の分からないタイミングで堕ちるのね(笑)

京セラの天井席で野鳥の会をしてたら、自担の助手がま〜〜〜〜仕事ができる!目についちゃう!

 

 

しかも自担がまとめをしてる時に、微動だにせず前を向いて話を聞いてて。

 

私ここで頭おかしいくらい1人で笑ってて。笑いすぎて涙ポロポロ溢れてくるくらい笑ってたの。

きっかけはここね。次の日は半々くらいの割合で双眼鏡で追っかけてて。

最後の外周トロッコで見ちゃったんだよね。ファンサしてるとこ。しかも1人と結構長時間やり取りしてるとこ。

 

気付いたら行くつもりなかった東京のチケット確保して、双眼鏡の向く先は9割その人だった。

 

 

 

 

アウトだよね(笑)

 

 

どこらへんからアウトかは人それぞれの尺度だろうけど、これはもう誰に聞いてもアウト(笑)

 

 

 

とりあえずリサーチ大好き野郎だから

細かいプロフィールからグループ全体の色々まで、あらゆることを調べた、つもり。

現場は既に終わってて、でも何かしらに行きたくて、そしたら舞台があることを知って。

 

 

夏休みは舞台に捧げた。

 

俳優くんの舞台挨拶も行きつつ。

 

必死にお金の計算して、千秋楽大阪まで行ったのはいろんな人に呆れられたけど、上半期しんでた私にとってはほんとに楽しい日々だったんだよ。

 

 

 

 

ここまでで余裕で2000字超えてるんだけど…

普段レポートすら滅多に書かないから疲れた…

 

あとお風呂浸かりながらだからお湯冷めてきて寒い( )

 

まあ要するに、

要するに………要するに何が言いたかったんだっけ………

 

待って…ほんとに後先考えず吐き出したから書いてるうちに忘れちゃったんだけど…

 

 

 

 

5分程考えて思い出したんだけど、そこに繋げる色々がめんどくさくなってきたから結論だけ言っていいかな…(笑)

 

 

今回の嵐のツアー入って分かっちゃったの。

入る前から今回で区切りにするとは決めてたんだけど、未練とか何もなく、いつの間にか

 

「ああ嵐?いいよね〜好きだよ」

 

くらいにまで成り下がってた。

 

 

たぶんライブの順番(クリスマス京セラ2days、その2日後嵐2days)とかもあるんだろうけど、

11月に嵐行った時にも、これで終わりでなんの問題もないな、って思ったのも確か。

 

今までみたいに心の底から楽しめてなくて、12月に関しては、ほんとに失礼で関係各所に申し訳ないんだけど、

嵐のライブの途中なのに、クリスマスの記憶が出てくることが何回もあった。

 

 

 

それに加えて、私にとってラスト嵐の日。

12月28日の東京ドームで、今全力で応援したいと思ってる人たちを見つけてしまった。

 

楽しそうに体揺らして腕振ってる姿が可愛くて、大好きで、終始目を離せなかった。

 

見てる方向はステージじゃなく薄暗い見学席で、あんなに必死に成功を祈ってたティシューと同じようにみんなが見守ってたバク宙を失敗しちゃったのに、私は見逃した。

必死に双眼鏡で暗がりを見てたから。

 

 

ステージを見ようと努力はした。けど、今この瞬間どんな感じで楽しんでるのかなって気になっちゃったし、そもそも努力して見てる時点で気付けよ、って。

 

 

最後の現場で新しい自担が食い込んでくる、なんともレアな状況のおかげで、ちょっとだけ寂しく思ってた担降りが、笑顔のままできるようになったこと、すごく嬉しかったんだよね。

 

 

 

楽しく生きたいじゃん、誰だって。

疲れたんだよもう(笑)

何が、とかじゃあこうしたら?とか、そういうのすら疲れた(笑)

正直降りるって決めたのだって、ツアーが始まる前だし、区切りがいいから全部入り終わってから、って決めただけだし。

もっと言っちゃえば、(もうほんとこの際だから言っちゃうけど)、Japonismの円盤が出て、買ったはいいけど封を開けてないのね。

おまけにみんなで鑑賞会した時、あんまり沸けなかった!(あーあ)

あれ何月?8月か。沸けなかったの!みんなに合わせてきゃーとか言ってみてたけど、客観的にしか見れてなかったのね。

ほんっとやだ(笑)(涙)

ほんっとごめん。ごめんね。

 

 

 

 

 

掛け持ちするつもりだったしできると思った。

けどジャニーズWESTを好きになればなるほど、嵐に対しての気持ちが消えてった。哀しいよね、哀しかった。

嵐の録画を消されたくなくて、グッズを捨てられたくなくて、クラス5位以内に入れ、って無理難題をクリアしたりまでしたのに。(すごいよね、これほんとに頑張った)

 

消える時はあっという間で。自分を騙して着いていけるほど余力がなかったし、そうまでして着いてきてほしいように感じなかった。

今いるファンを離したくないって思ってくれてるあの子たちに着いていきたい。

 

 

変わらないよ、って言うけど、やっぱり変わったんだよ。

中にいれば気付かないけど、1歩外に出て見てみると気付かされるんだよ。

 

 

 

 

降りても好きだよ。ってよく言うじゃん?

私はそれにすらなれなかった。

 

そりゃ嫌いではないし、好きなとこもあるけど、なんていうのかな、私の語彙力じゃどうにも伝えらんないけど…

誘われたらライブ行く?って聞かれて

行く、って即答できないくらいの存在。ごめん、めっちゃ偉そう。

 

 

はーーーーー疲れた!

 

とりあえず、二宮担だった私はもういなくて、担当を聞かれたら迷わず濵ちゃんって答えるよ。って話を、クドクドとしてみた(笑)

みんなよくこんな大変なことできるね…

やっぱり文章は極力書きたくないし、卒論がすごい不安になってきた(笑)

 

 

 

 

 

嵐への気持ちが変わったことで、人間関係ももちろん変わっちゃったから、それは寂しいポイントかな。

変わらずにいてくれる子たちは同じような状況になった子たちばっかだからね。

言っちゃうと誰だか分かっちゃうかもしれないけど、たぶん私のこと好きじゃなくなったんだろうな、私とかといるより楽しい人たちがいて、でもそれは言いにくい色んな事情があるんだろうな、って思う子とかもいるわけよ。(誰だか分かってもそっとしといて)

所詮ネットからの友達だけどそれを越えたとこまできて、今更後に引けないとかね、あるんじゃない?1対1の問題じゃなかったりね。

 

 

人間関係が1番こういうとこで引っかかることだよね。難しい問題だよ。

人間不信になるわ(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっともうほんとに今度こそ書くのだるくなってきたからやめる疲れた(笑)

 

ごちゃごちゃよく分かんないこと書いたけど

年内にやっておきたかったのは、決意表明。

 

 

2016年と共に二宮担という肩書きともさよならしたかったの。間に合わなかったけど(笑)

 

 

一生なんてないんだなぁってすごい今更なことに気付いたのもいい経験だよね。

 

まあ今のところは、濵田担として生きていくよ、よろしくね。ってことで。

 

2017年よろしくお願いします。